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誰もいなくなるまで ここにいるよ

下議会と配信2

1回目→下議会と配信の話 - 透明度65%

nagasawan.hatenablog.com

 

 

以前の記事より、配信の話。ustream checkerに下議会としてチャンネル登録をしてからの出来事。

 

そこへ登録した当時は、(いわゆるチェッカーでの)配信者やゲーム実況者について、それなりに詳しい側だと思っていた。しかし次から次へと登録されていく配信者達を見て、意外と大きなコミュニティだったこと、もっと詳しい人(悪く言えば気持ち悪い人)が大勢いることを知った。しかしこれについては、10年以上経った今も、このコミュニティにしがみついている人は多々いるので、密度的にはどんどん濃密になっている気がする。

 

同時期にチャンネル登録してた人には、セルピーさんとか劇団カニ倶楽部さんとかウェンディーズ学園さんとかるかさんとか20秒さんとか安土桃山時代さんとか、(ほぼ面識ないのに名前を出してすみません)もっとたくさん、50人ぐらい?いた。その頃の配信は、ほとんどが一人で細々とゲームや雑談配信をしていた印象だ。

しかし◯◯勢みたいな、既存コミュニティから派生した配信者が結構いたことは驚きだった。上でも述べたように、自分が見ていた知っていたつもりの世界は、本当に部分的なものだった。みんな初めましてのドキドキ状態から始まり、周りを気にしない建前で配信していると思ったのに。既にいくつかのつながりやグループはできあがっていたのだ。

 

そもそも下議会自体が複数人で構成されているので、グループ云々言うの良くない話。しかしとにかく、我々につながりは不要だった。グループのくせにつながりを否定するスタンス、当時嫌っている・避けている人も多々いたはずだ。得体の知れなさと社交性のなさから、周りから見ると余計に興味がわかなかっただろう。実際、過疎配信・複数人配信特有の内輪臭が(!合わない人には!)目障りだったと思う。そんなよく分からないこだわりを持ちながらも、根は真面目な我々は、各々が律儀にゲーム配信を繰り返していたのだった。名前だけは見たことあるよ、それさえも嬉しく感じる日々のこと。

 

 

そんな中、いわゆる二次チェッカーに凸待ちブームが来た。(この後にも何度か凸待ちブーム、そしてなぜか、定期的にラジオブームが来る。)どの配信を切り取っても変わらない。チェッカーを開けば必ず凸待ち配信のある日常が続いた。『自称凸厨』なんてクソつまんない言葉が、クソつまんない人達に蔓延しかけたぐらいでブームは去る。つまんない人間はブームを断ち切る力を持っている。とても心強い人達だ。

 

しかし下議会、これに乗っかった。いや、牽引したと言うべきか。あの猫戦車も下議会発祥なのだから。どちらにしても、ねとらじで凸待ちにはなんとなく慣れていたので抵抗はなかった。決して馴れ合いではない。あくまで鎖国中の出島みたいな感覚。

初めて話したのは、うえぽんさんだった。ドンキーコングの話をしたはずだ。他にも色んな人と配信で話をした。今思えば貴重な機会、不思議な経験だった。だが残念なことに、その頃お話しした9割の人はもう消えている。多分連絡なんか取れないだろう。それぞれの印象は、おぼろげながら覚えているのにノスタルジー

 

その後「日本列島凸の旅」という、美輪※5・永澤で凸者に出身地(又は居住地)の話を聞き、全ての都道府県を征する旨の配信を行った。これが非常に楽しく、配信者や視聴者との交流が広がった最初のきっかけだろう。

特に印象深いのは、岐阜県代表として来た青甲虫さん(現:花見川さん)との会話。深夜なのに、初めましてなのに、3人各々がひとりぼっち、パソコンの前で、延々と下らない話でげらげら笑い続けた。懐かしい。

うーなう!

これを機に花見川さんとは細く長い交流が今も続いている。唯一だろうか。彼はまさに、下議会界におけるペリー的な存在だった。こういう人と巡り会えるのが、配信に触れて良かったことに挙げられるかもしれない。

 

 

そんな平和な配信ライフを送っていたのだが、気付けば二次チェッカーはもうパンパン。次第に昇格する人しない人、色々な人が出てくることになる。

 

 

この時2010年ぐらい。他にも色んなことがあった。

サクッとまとめたいのに、結構溢れちゃう。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

※5 美輪

下議会の一人。声が素敵で、コミュニケーション能力がイタリア人。

 

 

 

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