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誰もいなくなるまで ここにいるよ

ウォーキング・ミント

今週のお題「わたしのイチ押しアイス」

 

 

昔は「チョコミント」味が好きだった。イチ押しアイスの味だ。当然周りの人へも、何のためらいなく公言していた。チョコミント=永澤みたいな式を、公の定式としたい恥ずかしい気持ちが丸出しだったかもしれない。そんなつもりないのだが、そう思われても反論し難い。目立てない人特有の逆張理論みたいな感じだ。

「チョコミントなんて歯磨き粉の味だ」と言う輩と対立するプロレスリングも、今となっては微笑ましい。チョコミント好きと唱えることで、容易にマイナーポジションを得られる。あえて不利な立場を振る舞うことで干渉が生まれ、コミュニケーションが円滑に進んでいた。

魔法の言葉、チョコミント

 

 

さてさて、今はどうだ?

チョコミント好き野郎共の声がデカ過ぎやしないか?なにがチョコミント特集だ。チョコミントアイスランキングだ。アイス以外の業界とコラボるなよ。へらへらレビューしてんじゃないよ。本当に。チョコミン党とか呑気に群れてる場合じゃなくない?何じゃれ合い楽しんでんの?私の性格上、こんなご時世でチョコミント好きを公言するのはだいぶ憚られる。

数多のフレーバーからチョコミント味を選ぶような人間のこと、もっと軽蔑してほしい。平気でチョコミントを好きと言える今の社会、何かおかしな方向へ向かっていやしないか?

 

 

突然だけど、サイコパス問題もこれに通ずる所がある。みんな自分のことをサイコパスに設定しがちだ。本来悪口となるだろうこの単語だが、サイコパスと言われた方はむしろ気持ち良くなっている節すら見受けられる。

理由は簡単。どの角度から聴いても、サイコパスの響きが絶望的にカッコ良いのだ。ネット上のサイコパス診断を試して、「あなたは紛れもなくサイコパスです」の結果を必要以上に周知する人。自称サイコパス・ザ・一般人はもう痛々しくて見てられない。

このままだと、全人類チョコミント好きのサイコパス野郎になってしまう。だれか助けて。

 

 

 

では再確認。生き残った人の足踏みを揃えたい。

自称チョコミント好きはもう一度思い出してほしい。

見た目がキモくて、味が歯磨き粉で、みんなに後ろ指さされ、少数派だったチョコミントを好きになったのではないのか?チョコミント好きであることに対しての、恥ずかしさや申し訳なさの感情が薄まっていないか?その感情の奥底にある、小さな誇りの淡い輝きに満足して生きていこうじゃないか。

 

 

あの頃のようにチョコミント好きの肩身が狭くなるまで、私のイチ押しアイスはイチゴミルク味となる。

偽りながら生きていこう。苦しくなんてない。

甘過ぎないのがチョコミントの良いところだ。

 

 

 

 

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