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誰もいなくなるまで ここにいるよ

中山金杯 2020

しれっと中山金杯の馬券を買った。

今年初の重賞、特に何も調べずクレッシェンドラヴ軸で三連複を4500円分買った。

 

特にリアルタイムでレースも見ずに、先ほど結果を確認したら全然ダメだった。

甘く考え過ぎていた…来週はがんばります。

 

 

 

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ぜんぶ雪のせいだ。

真夏にウィンタースポーツの件。

 

生まれて初めてスノーボードを経験したのは学生の時だった。経験者も初心者も含む友達十数人で、雪の降る遠く高い山へ行った。以前も述べた気がするが、海とか雪山とか、自然を相手に一人黙々と体を動かすのが苦痛な私。あまり乗り気ではなかった。持ち前の運動神経でスノーボードなんて楽勝に乗りこなせて、果たして何を競うのか、つまらないものだと思っていた。それでもスノボキッズを持っていたので(当時クラスじゃ負け知らず)、イメトレばっちりで当日を迎えた。

 

しかしいざ滑ってみると、そう簡単にはいかない。私はスノーボードに乗れない側の人間だったのだ。人生でぶつかった高い壁のひとつだろう。イメージ通りに体が動かない。本物のスノボーとスノボキッズは全然違うのだ。人が板に乗ってるだけなのに。こんなにも操作性が異なるなんて。

二度と雪山なんて来るかと思いながら、暖かい小屋で談笑などをして残りの時間を過ごした。ちょっぴり惨めで素敵な時間だった。あんな寒い山奥でさえも、暖かい笑顔を振りまけるような友人を一生大切にしたいと思う。

それでもせっかく時間をかけてスノボーに来たのだから、最後に ヒトスベリ キメようと決心した。最初のやつは何かの間違いだろうと思うことにした。それまで黙々と練習を重ねた初心者組と共に、難しめのコースへ向かった。休み過ぎると良くない。判断が鈍るのだ。

 

おそらく一般的なのだろう、コースは中央から端部にかけて円弧状に雪が盛られ、端部側がいくらか低く設計されていた。とりわけ難しめのコースは、その高低差がえげつなかった。さらに、一応両端には網々の柵が張られているのだが、その先はとんでもない崖になっていたのだ。(下図参照)

 

私はその柵へ向かって転げ落ちた。難しめのコースにリフトより降り立って間もなく。わりと序盤での出来事だ。当然何をしたわけでもない。ゲレンデマジックとでも言うのだろうか、私の意思に反して気付いたらそこへ進んでいた。

かろうじて柵にひっかかったものの、身動きが取れなくなってしまった。ボードの外し方もよく覚えていない。掴む場所もない斜面なので立ち上がれない。高低差のせいか近くに人も見えない。無闇にジタバタすると柵の向こうの崖へ落ちてしまうのではないか。なぜこんなことに。もっと練習しておけばよかった。こんなとこ来るもんじゃなかった。山小屋はあんなに暖かかったのに。深々と雪が降り始めた。

 

 

 

 

私はそのまま天を仰ぎ、

広がる白銀の世界に身を委ねた。

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今週のお題「人生最大の危機」

 

 

 

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ユラグドシル

ゆらぎとは、ある量の平均値からの変動をいう。

Wikipediaより]

 

物理学。素敵な学問。目に見えたり見えなかったりする学問。摩擦力を考慮しないものとした世界なら、きっと永澤の人間関係も良好だ。

 

 

1/fゆらぎと言う言葉がある。ざっくり言うと、心を穏やかにする揺れ。これは声にも存在する。音楽界では、美空ひばり宇多田ヒカル森本レオの声がそれに当てはまるらしい。

 

当然、1/永澤 ゆらぎもある。この人の声いいなってなること。特に顔の見えない世界では情報量が少ないせいか、琴線へ触れることが多い。歌手やラジオやスポーツの実況・解説、ゲーム実況者から配信者まで色々とある。さらにその声が並べる言葉の意味が素敵であれば、尚のこと興味深くなる。

いわゆる声フェチでもない、ごく普通フェチな私でさえマイゆらぎを持っているのだから、きっと1/みんな ゆらぎもあるはずだ。あの声優さんとかいつも一緒にボイスチャットをしてるあの人とか。

 

 

声発信で興味を持った人の顔を見るか問題は、全宇宙で共通の課題だろう。一般人さえもが発信者となったこの大メディア時代では、それを望めば簡単に見られる可能性は高い。もはや避けては通れない問題である。

以前とったアンケート、

「声しか知らない相手、顔も見たいですか?」

見たい:4割、見たくない:1割、どうでもいい:5割

半分はどうでもいいと思ってる。ここからは、残り1割との共感を求めて進んでいく。

別に「顔がイケメンや美人じゃないと嫌だ!」なんて陳腐な話じゃない。形成された幻想を壊したくないのだ。

 

 

せっかくなので分かりやすく説明したい。

 

仮に『松木安太郎』氏の声に心惹かれたとする。当然顔を知らない前提で。好きなのはその声と発する言葉、そして情熱だ。

ある日見ていたサッカー日本代表の試合。なんだこの熱い声の人は。永澤がゆらぐ。きっとこんな出で立ちで、背景を持ち、意思や熱意があるのだろうと様々な想いを馳せる。この瞬間『松木安太郎』は、1/永澤となる。私だけのオンリーオリジナル松木安太郎だ。

 

しかしあろうことか、後日Yahoo!ニュースで『松木安太郎』氏の顔を見てしまう。その瞬間、私だけが所有していた1/永澤オンリーオリジナル松木安太郎がいなくなる。自発的だとか事故的だとかは関係ない。現実と、思い描いた安太郎とのギャップの大小も関係ない。本物を見てしまった事実、これでおしまい。魔法は解ける。もうどこを探しても見つからないのだ。

残念ながらそれは、みんなが持っている『松木安太郎』とおんなじだ。1/みんな 安太郎に取り込まれてしまった。どうあがいてもその視点はもう変えられない。誰にも負けない情熱を持ち、私だけの松木安太郎を応援してきたのに。

 

 

みたいな。悲しくない?

まぁ隠れゴシッパーとしては、見られるもんは見ときたい気持ちの方が強いけどね。

 

 

いい声っていいよねってことを書きたかったのにグラグラになってしまった。申し訳ない。

揺らがない芯の通ったことをちゃんと書けるようにしたい。そう、あの大きな世界樹のように。

 

 

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サッカーをただ見続けてきた

サッカーは◯◯だ。◯◯には良いことも悪いことも全部入る。今日はついに、人生で一番長いことハマっているサッカーと私についてまとめてみる。

 

 

昔の話。

 

ブラウン管に映るザラついたBS放送。生中継なのかも分からない異国の映像、リーガエスパニョーラをぼーっと見ていたのが最初の出会いだった。ロイ・マカーイリバウド、コヴァチェヴィッチがぎゃんぎゃんにいわしていた頃。

そこからセリエAダイジェスト、すぽるとスーパーサッカーを見るなどして、少しずつサッカーに関する人、チーム、文化、歴史を覚えていった。周りの誰もが知らないことを学んでいるようで嬉しく、「学び」に対して最もキラキラしていた頃かもしれない。もちろん学校では、地理の科目が大好きだった。

 

その中でも、イタリアのフランチェスコ・トッティが一番のアイドルだった。チャラついてるけどサッカー上手いからオールオッケーみたいな。アウトローっぽい正義に、結局みんな憧れるのだ。EURO2000のクッキアイオと日韓W杯で退場する映像はビデオが擦り切れるほど見た。ドイツW杯に至ってはDVDが裂けるほど再生を繰り返した。今でも残ってるかなぁ。

そして特段好きな選手に、イブラヒモビッチが加わった。同じ系譜だ。残念なことに、その次はまだ見つかっていない。

 

 

時は流れる。

 

 

「サッカーは生に限る」の信条が強くあった。ビールも飲めないくせに、生にこだわりやがる様がとても愛おしい。ハイライトだけを見て、サッカーのなにが分かるんだよって常々熱く語っていた。可愛らしい永澤。

海外のサッカーを生放送で視聴するためには主に、25時や27時から2時間ほどテレビの前に座っていなければならない。真面目で健康的な私が高校生活で唯一休んだ理由も、サッカーを生で観たい(眠い)からだった。

そんな生活をしていたのにも関わらず、社会人となるとさすがに会社は簡単に休めない。ついに、日々の試合を、短いハイライトを見ただけで全てを知った気になり満足し始めた。大好きだったW杯さえも録画ですら観なくなり、結果のみの確認で済ませていたこともある。こども永澤に言わせれば、くそみたいなつまんねえ大人になってしまったのだ。しょーもな。

 

 

少し時は流れる。

 

 

オレ達にはJリーグがあった。

全く見なかったわけではないが、改めて国内サッカーに目を向けてみると、どっぷりとハマってしまった。基本的には週末の程よい時間に開催されている。観戦にも行ける。地域、チーム色んな活動や文化があって面白い。これから世界で活躍していくだろう選手を見たり探したりするのは特別に楽しい。なによりも、各クラブの愛くるしいマスコット達が大好きだ。

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今に戻る。

 

 

ほんの一部、色々と思い返してみたが、なぜサッカーを好きになったのかはわからない。あまりサッカーを好きでない人から、なぜ知らない人たちがスポーツしてるのを見て一喜一憂できるのか問われたことがある。ごもっとも。自他共に納得できる、しっくりくる答えをその時に提供できなかったのが悔しい。なんか、楽しいのだ。に尽きる。

 

誰も知らない何かが起きる(かも)ってところが好きなのかもしれない。SAW(映画)みたいな大逆転のドンデンガエシ展開が好きだ。きっと人間のほとんどは、SAWを好きだ。それをサッカーにも求めてしまう。たちが悪いのは筋書きがないこと。波風立たぬドンデンガエシもありえる。

 

おそらく、最後の最後にドラマが起き得ること、これがサッカーを見るひとつの大きな理由だ。年に数回、起きるか起きないかのこれを期待している、パチスロ脳みたいなやつなのだろう。サッカー好きは夢見がちなのだ。

 

得てして、8-0で贔屓のチームがボロ勝ちするのも幸せだし、0-0の渋い試合だけど熱い展開だったと自分に言い聞かせて不貞寝するのもまた一興。だーれも結果は分からないのだから。サッカーなんて誰も知らないのだ。

 

ほんの2時間、誰に作られたわけでもない(だろう)出来事に対して夜な夜な期待に胸膨らませ、これからもサッカーと共に生きていくのだろう。

 

 

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ベストスコア120のくせになまいきだ

大人になって初めて経験したことのひとつに、ゴルフがある。経験といっても、ラウンドしたことはトータルで5回ぽっちほどだけど。

ゴルフ、くそほどつまらない。

 

まず、朝が引くほど早い。そして集合場所(ゴルフ場)が遠い。余計に朝が早くなる。おじさんたちはいつ寝て、いつ起きるのか。謎バイオリズム。太陽が昇る頃に集合して、昼過ぎには解散。健康的に感じるが、貴重な休みの日をこのように過ごすのはまだまだ私には早い。

 

そして、お昼に飲酒タイムがある。これがまた辛い。競技中にお酒を飲むなんて、なーにが紳士のスポーツだ。お酒好きおじさんは、朝にも飲んでる。帰りにも飲んでる。強い。帰ったら思いっきり家族に怒られててほしい本気で。

 

それから、おじさんたちとのゴルフトークがとんでもなく苦痛。スコアがどうだ、新しいドライバー買った、スイングフォームを変えた、はーーーーおもんな。居酒屋で聞く仕事の話と並んで、つまんな話界の超常連。

 

でもでも、ゴルフ自体はきっと楽しい。家族みんなで来てる朗らかな方々もいるし、素敵なウェアを着た女性も結構たくさんいるし、何より開放感に溢れた大自然の中で体を動かすのは最高だ。気心知れた仲の良い友達とゴルフできれば、この印象もいつかきっと変わるのかな。

仲の良い友達。友達。。ともだち。。。

 

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