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誰もいなくなるまで ここにいるよ

サッカーをただ見続けてきた

サッカーは◯◯だ。◯◯には良いことも悪いことも全部入る。今日はついに、人生で一番長いことハマっているサッカーと私についてまとめてみる。

 

 

昔の話。

 

ブラウン管に映るザラついたBS放送。生中継なのかも分からない異国の映像、リーガエスパニョーラをぼーっと見ていたのが最初の出会いだった。ロイ・マカーイリバウド、コヴァチェヴィッチがぎゃんぎゃんにいわしていた頃。

そこからセリエAダイジェスト、すぽるとスーパーサッカーを見るなどして、少しずつサッカーに関する人、チーム、文化、歴史を覚えていった。周りの誰もが知らないことを学んでいるようで嬉しく、「学び」に対して最もキラキラしていた頃かもしれない。もちろん学校では、地理の科目が大好きだった。

 

その中でも、イタリアのフランチェスコ・トッティが一番のアイドルだった。チャラついてるけどサッカー上手いからオールオッケーみたいな。アウトローっぽい正義に、結局みんな憧れるのだ。EURO2000のクッキアイオと日韓W杯で退場する映像はビデオが擦り切れるほど見た。ドイツW杯に至ってはDVDが裂けるほど再生を繰り返した。今でも残ってるかなぁ。

そして特段好きな選手に、イブラヒモビッチが加わった。同じ系譜だ。残念なことに、その次はまだ見つかっていない。

 

 

時は流れる。

 

 

「サッカーは生に限る」の信条が強くあった。ビールも飲めないくせに、生にこだわりやがる様がとても愛おしい。ハイライトだけを見て、サッカーのなにが分かるんだよって常々熱く語っていた。可愛らしい永澤。

海外のサッカーを生放送で視聴するためには主に、25時や27時から2時間ほどテレビの前に座っていなければならない。真面目で健康的な私が高校生活で唯一休んだ理由も、サッカーを生で観たい(眠い)からだった。

そんな生活をしていたのにも関わらず、社会人となるとさすがに会社は簡単に休めない。ついに、日々の試合を、短いハイライトを見ただけで全てを知った気になり満足し始めた。大好きだったW杯さえも録画ですら観なくなり、結果のみの確認で済ませていたこともある。こども永澤に言わせれば、くそみたいなつまんねえ大人になってしまったのだ。しょーもな。

 

 

少し時は流れる。

 

 

オレ達にはJリーグがあった。

全く見なかったわけではないが、改めて国内サッカーに目を向けてみると、どっぷりとハマってしまった。基本的には週末の程よい時間に開催されている。観戦にも行ける。地域、チーム色んな活動や文化があって面白い。これから世界で活躍していくだろう選手を見たり探したりするのは特別に楽しい。なによりも、各クラブの愛くるしいマスコット達が大好きだ。

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今に戻る。

 

 

ほんの一部、色々と思い返してみたが、なぜサッカーを好きになったのかはわからない。あまりサッカーを好きでない人から、なぜ知らない人たちがスポーツしてるのを見て一喜一憂できるのか問われたことがある。ごもっとも。自他共に納得できる、しっくりくる答えをその時に提供できなかったのが悔しい。なんか、楽しいのだ。に尽きる。

 

誰も知らない何かが起きる(かも)ってところが好きなのかもしれない。SAW(映画)みたいな大逆転のドンデンガエシ展開が好きだ。きっと人間のほとんどは、SAWを好きだ。それをサッカーにも求めてしまう。たちが悪いのは筋書きがないこと。波風立たぬドンデンガエシもありえる。

 

おそらく、最後の最後にドラマが起き得ること、これがサッカーを見るひとつの大きな理由だ。年に数回、起きるか起きないかのこれを期待している、パチスロ脳みたいなやつなのだろう。サッカー好きは夢見がちなのだ。

 

得てして、8-0で贔屓のチームがボロ勝ちするのも幸せだし、0-0の渋い試合だけど熱い展開だったと自分に言い聞かせて不貞寝するのもまた一興。だーれも結果は分からないのだから。サッカーなんて誰も知らないのだ。

 

ほんの2時間、誰に作られたわけでもない(だろう)出来事に対して夜な夜な期待に胸膨らませ、これからもサッカーと共に生きていくのだろう。

 

 

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